鬼平21世紀江戸市中見廻り写真


第9回 雑司ヶ谷

鬼平犯科帳「隠居金七百両」の舞台となった雑司ヶ谷鬼子母神から南下して雑司ヶ谷道を歩きます.
 長谷川平蔵の息子,辰蔵は鬼子母神境内にある茶店の娘〔お順〕に下心を持ちます.その茶店は参道〔一ノ鳥居〕の手前の右側にあった,という設定です.写真は現在の一ノ鳥居.




一ノ鳥居を入った参道の中に渋い門扉の学問所[1]がありました.




「隠居金七百両」のストーリーで,辰蔵は,お順に会いに茶店に行くのですが店は閉まっていて会えませんでした. そこで,たまには父平蔵の機嫌を伺おうと清水門外の役宅へ向かうため,雑司ヶ谷道を南下して江戸川にかかる面影橋を目指します.
 写真は,高田一丁目信号から雑司ヶ谷道の下り坂を少し下りた所. 江戸時代以前からある古道で宿坂(しゅくざか)と呼ばれているそうです[2]. 微妙なカーブを描いています.




右側に見えてきたのは金乗院目白不動です.天正年間(1573年-1592年)の創建と推定されているそうです[3].江戸時代より前です.




金乗院前の道の反対側にあった鐘.




写真左下の角石が由緒のありそうな雰囲気ですが詳細は不明.




左手に南蔵院.創建は室町時代まで遡るようです[4]. これは山門ではなく通用門ですが,緑豊かな境内が垣間見えます.




右手に氷川神社.創建は平安時代. 見えている鳥居は寛政2年(1790年)に立てられたもの[5]なので, ちょうど鬼平犯科帳の時代のものです. 周囲もグレーで統一されています.




鬼平とは関係ありませんが,いかにも古道散歩の風景.




さて辰蔵は,江戸川に掛かる姿見橋の手前左の木立の中へ入り放尿します. その最中に,お順が姿見橋を渡ってこちらにやって来るのが見え,さらに,南蔵院から走り出た二人の男がお順を誘拐して姿見橋を南へ渡って行くのを目撃します.その木立があったと思われる場所.見えている寺は南蔵院です.




面影橋の手前にある「山吹之里」の石碑.太田道灌(1432-1486)[6]の山吹伝説にまつわる石碑です.




面影橋から見た神田川.鬼平犯科帳では「江戸川」という名称で呼ばれています. また,「隠居金七百両」のストーリーに登場するのは「姿見橋」です. 「面影橋か姿見橋か?」については解説が[7],[8],[9]にあります. 神田川にかかる大きな橋と,南蔵院近くの小川にかかる小さな橋があり,江戸時代からこの二つの橋の名に混同があった,ということのようです.




面影橋を南へ渡った所.お順の誘拐犯は前方へ走り去り,辰蔵はこれを見失ってしまいます.




辰蔵はあたりの木立の中などをしばらく探し回りました.




雑司ヶ谷道沿いにある亮朝院[10]. 寛文11年(1671年)からこの地にあるそうです.写真の美しい建物は鐘楼堂で昭和54年建立[11]



もう少し南下すると高田の馬場へ出ます.辰蔵は自力で捜すのをあきらめ,鬼子母神の茶屋に急を知らせに戻ることにし,雑司ヶ谷道を引き返し,さらにストーリーは展開して行きますが,今回の散歩はここで終了とします.

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@720mamoru


参考文献


筆者は本来写真愛好者です.上に掲載した写真を
Nikon Image Space
にも掲載しました.フルスクリーン・スライドショー等の表示ができます.是非ご覧下さい.


使用した機材
カメラ:Fujifilm X-E3
マウントアダプタ:M MOUNT ADAPTOR (Fujifilm純正)
レンズ:Leica Summicron-M 28mm F2 ASPH.


最終更新:2018.02.20