鬼平21世紀江戸市中見廻り写真


第4回 深川富岡八幡宮

鬼平犯科帳の「あばたの新助」中に,平蔵配下の同心佐々木新助が富岡八幡宮の門前の茶屋の女〔お才〕に誘惑されて窮地に追い込まれるストーリがあります.

八幡宮二の鳥居の前の商店街.江戸情緒はあまり感じられないようです.




八幡宮の裏手に出ると,散歩するに良い道がありました.




〔お才〕が働いていた茶屋は八幡宮の東側にあったと云う設定ですが,その辺りは現在は賑やかな場所ではないようです.堀を隔てた東側は木場なので,材木関連の問屋があり,その建物は木と金属が古めかしい質感を競っています.




八幡宮の門前に茶屋や小料理屋があったと云う,その雰囲気を残す通りは門前を横切る永代通りの南側にありました.




〔お才〕は佐々木新助を〔富吉町の正源寺裏の細道〕へ導き,盗賊の拠点になっている小料理屋へ連れ込みます. そんな細道.ここは旧大島町で,鬼平犯科帳「掻堀のおけい」の女盗賊〔おけい〕の家があったのもこの辺です.




細道の途中に散歩の休憩をするに良い公園がありました.




単に下町散歩写真になってきました.正源寺がある地区へ渡る巽橋(1929年竣工[1]).




巽橋の南側には屋形船が[2]




巽橋の北側も船溜まりです.




巽橋から正源寺の裏手を望む.




正源寺裏,盗賊の拠点が設定されたと思われる付近.




「あばたの新助」の捕り物シーンで,佐々木新助は正源寺裏に盗賊を捕らえに来るのですが,そのとき隠れて捕縛のタイミングを待った正源寺の裏の墓地が突き当たりの壁の向こうにあります.




上の地点の100メートル南側に堤防があり,その外は隅田川河口で,永代橋がすぐそばに見えます.


永代橋が最初に架橋されたのは元禄11年(1698年).現在の橋は,関東大震災(1923年)後の震災復興事業第一号として建設され,1926年に竣工したものだそうです.江戸時代の落橋事故,そして関東大震災と,この橋には歴史があることを本稿を書くにあたり知りました[3]

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@720mamoru


参考文献


筆者は写真愛好者です.上に掲載した写真を
Nikon Image Space
にも掲載しました.フルスクリーン・スライドショー等の表示ができます.是非ご覧下さい.


使用した機材
カメラ:Fujifilm X-E3
マウントアダプタ:KIPON Shift C/Y-FX
レンズ:Carl Zeiss Distagon 25mm F2.8 T* (MM)


最終更新:2018.02.01