鬼平21世紀江戸市中見廻り写真


第6回 高輪台

地下鉄白金高輪駅から魚籃坂を経て高輪二本榎通りを歩きます. 鬼平犯科帳「泥亀」は,魚籃寺の境内にある茶屋の亭主で元盗賊の〔泥亀の七蔵〕が持病の痔の治療のため魚籃坂を上り,伊皿子台町の町医者のところへ行くシーンから始まります.
 魚籃坂下の交差点から魚籃坂を上っていく左手には寺が並んでいます.最初に見えるのは,板塀で寺町の雰囲気を醸し出してくれる宝徳寺です. 江戸桜田にあったのですが,江戸城改修工事[1]のため元和6年(1620年)にこの地に移転してきたということです[2]




現代は寺の外観も色々になってきました.ビルになった徳玄寺.寛永6年(1629年)の江戸城天下普請のためやはり桜田からこの地に移ってきたそうです[3]




目立たない魚籃寺の山門.寺の創建は承応元年(1652年)だそうです[4]. あまり存在を誇示せずに,周囲に溶け込んでいます.




次に見えるのは薬王寺の墓地へ通じる裏門です.薬王寺は元和7年(1621)麻布狸穴に創建,その後変遷し,寛永元年(1624年)に現在の場所へ移転してきたそうです[5]. 魚籃坂の通りからは目立たない奥の方には,それぞれの寺の墓地が広がっているようです[6].創建の年代を調べてみて,魚籃坂に並んだ寺の中では魚籃寺が最後に建ったというのは意外でした.




伊皿子の交差点まで坂を上り詰め,右折して高輪二本榎通りを進みます. 鬼平犯科帳「本門寺暮雪」は,平蔵が,親しい知人で高輪二本榎の屋敷に住む細井彦右衛門を訪問するシーンから始まります. 先ず右手に見えるのは高輪皇族邸の木々.


この皇族邸と,隣接する高松中学校,都営高輪一アパートを含む一帯は肥後細川藩中屋敷でした. 維新後に細川藩邸が皇室の用地となり,戦後になって,中学校や都営アパートに用地を払い下げて皇族邸を縮小したそうです[7]. また,大石内蔵助が預けられ,切腹したのがこの細川藩中屋敷です[8]

次に見えてきたのがレトロな建物の和菓子屋「とらや」. 羊羹の有名ブランド「虎屋」とは関係のない地元の和菓子屋で,現在は休業しているようです[9,10]




さて,鬼平犯科帳「本門寺暮雪」のストーリーで,平蔵は細井家へ向かう途中で,友人の井関録之助に偶然出会います.録之助は過去のいきさつから殺し屋の〔凄い奴〕に狙われていたのです. その日は平蔵と録之助は細井家に泊まり,翌朝,平蔵と録之助は示し合わせて〔凄い奴〕を返り討ちにする算段をとります.〔凄い奴〕に尾行されることを想定して,録之助は平蔵に指示された通りの道筋を歩きます. 先ず,二本榎通り承教寺門前を左に曲がります.その承教寺[11]門前の狛犬に似ている見慣れない動物の石像.「件(くだん)」という想像上の動物だそうです[12]




上の写真の立て札にありますが,この寺に画家の英一蝶(1652-1724年)の墓があるそうです.「件」は狛犬みたいに左と右で対になっています.




平蔵の指示に従って承教寺の脇の道を左に入ります.




微妙にうねった道が長く続いています.




急に迷路っぽくなりました.江戸時代の地図[13]では一本道が突き当たって右へ折れているだけなので,平蔵の指示した道筋としてはここを右に入るのですが,前方に散歩気分をそそられる細道が見えるのでまっすぐ進みます.




正面の暗い細道に心惹かれますが,先ず左に折れてみます.




高い建物の無い時代にはこの辺は見晴らしが良かったのではないかと想像されます. 坂道を下ると細い道がうねうねと泉岳寺まで続いています.




脇道に逸れました.鬼平犯科帳「本門寺暮雪」のストーリーに戻ると,井関録之助は平蔵の指示に従って先ほどの十字路を右に折れて,現在桂坂と呼ばれる坂に出て,坂を下り東海道へ出ます. 私は桂坂に出てから坂を上り,二本榎通りへ戻ります.桂坂の坂上に見える丸い塔のあるレトロ建築は高輪消防署二本榎出張所です. 1933年落成で,ドイツ表現主義様式だそうです[14]. 丘の上の塔ですので,周囲の見通しは抜群だったのだろうと推測されますが,現在では,周囲の高層マンションに高さで負けています.




高輪警察署前に再現されている二本榎.




さて「本門寺暮雪」で,平蔵は,録之助に指示したのとは別の道を辿り東海道へ出ます. 小説の記述と合致する寺の名前は見つからないのですが,それとおぼしき道筋を辿ります. 光福寺の角を左へ入り,折れ曲がる道の途中にある円福寺入り口の風景.洒脱な住宅と寺と高層マンションが混在する地区です.




円福寺の先で,さらに折れ曲がり,ホテルグランドプリンス高輪の脇に出る下り坂. 昔はここから海が見えたのだと思います.




坂の途中で左に折れて高輪公園を抜けた先にある細道.散歩気分をかきたててくれます.




曲がりくねった細道が旧東海道へでる直前の風景.




細道が旧東海道(すなわち現在の第一京浜)へ出たところにあったレトロな看板建築[15]


散歩の途上で看板建築を見つけるとついシャッターボタンを押してしまいます. 本稿を書く段になってのにわか勉強なのですが,1950年の建築基準法以降,銅板張りの看板建築は建てることができなくなった[16]ということですから,銅板張り看板建築を見つけたら1950年以前のものと見てよい,と理解しています.

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@720mamoru


参考文献


筆者は本来写真愛好者です.上に掲載した写真を
Nikon Image Space
にも掲載しました.フルスクリーン・スライドショー等の表示ができます.是非ご覧下さい.


使用した機材
カメラ:Nikon Df
レンズ:Nippon Kougaku PC-NIKKOR 35mm F3.5


最終更新:2018.02.06