鬼平21世紀江戸市中見廻り写真


第5回 目黒不動

鬼平犯科帳の中で,目黒不動は頻繁に物語の舞台となります.

目黒駅から権之助坂を下り目黒川にかかる目黒新橋から上流の渋谷方面を望む. 江戸時代には,市中とは異なる,のどかな野山の風景だったのでしょう.




同じく目黒新橋から下流を望むと,行人坂に通じる太鼓橋が見えます. 明和6年(1769年)に石橋が掛けられたが,時代がかなり下った大正9年(1920年)になって豪雨で流され,木橋に架け替えられたそうです[1]. 歌川広重「江戸名所百景」(安政4年: 1857年)には石造りの太鼓橋が描かれています. 鬼平の時代には広重の絵と同じものがあったことになります. 広重の絵には自然のままの川の風景が描かれています. 左岸のビルは雅叙園アルコタワーです. 太鼓橋のアーチを横倒しにして空中に表現してくれています.




太鼓橋から下流を望む.今や有名な目黒川の桜ですが,最初に植えられたのは昭和2年ということです[2]




江戸切り絵図を参考に江戸時代からあったとおぼしき道筋を通って目黒不動尊に向かいます.途中,平蔵配下の同心木村忠吾と細川峯太郎の菩提所があった威得寺の近辺を通りました.江戸切り絵図のこの界隈の寺は,そのほとんどを現代の地図にも見出すことができますが,威得寺だけは見当たりません.明治20年に廃寺となったそうです[3]




さらに参道に沿って目黒不動尊に向かいます.途中の五百羅漢寺は葵の御紋を掲げています.この寺は元は本所にあったのだが明治になって目黒に移ってきたそうです[4]




目黒不動尊参道の商店街.鬼平犯科帳にしばしば出てくる黒飴の桐屋は見つかりませんでしたが,代わりに昭和のオブジェを発見.




目黒不動尊の境内.




路地を通って寺の裏手へ回ります.




家の前に植木鉢を並べるのは東京下町の習慣で,江戸の庶民の流れを汲むものだとどこかで読んだことがあります.




階段を上るとそこは異界でした.




階段を上りきると,そこにあったのは江戸時代の儒学者の墓. 青木昆陽は,8代将軍吉宗公や,町奉行として有名な大岡忠相の下で活躍し,明和6年に亡くなったそうです[5]. 鬼平の時代には既にこの場所に墓があった筈です.




不動尊の北側に隣接する不動公園から銭湯の煙突を望む.




足元を見ると熟して枝から落ちた柘榴の実がありました.




銭湯は廃業していました[6].屋根に鯱が載っています.植物が生命力を誇っています.




薄暗い路地.鬼平配下の密偵が盗人を尾行したとき,こんな道も通ったでしょう.今は代わりに監視カメラが設置してあります.




大鳥神社.怪しい雲行き.




小さな飲食店が立ち並ぶ権之助坂. 鬼平犯科帳「俄か雨」では細川峯太郎が権之助坂の茶屋の女と恋仲であったことからストリーが展開します.




目黒駅方向にはビルが立ち並びます.救急車が通り,現代に引き戻されます.

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@720mamoru


参考文献


筆者は本来写真マニアです.上に掲載した写真を
Nikon Image Space
にも掲載しました.フルスクリーン・スライドショー等の表示ができます.是非ご覧下さい.


使用した機材
カメラ:Nikon Df
レンズ:Nippon Kougaku PC-NIKKOR 35mm F3.5

ただし,五百羅漢寺および精肉店の2カットは
カメラ:Fujifilm X-E3
マウントアダプタ:M MOUNT ADAPTOR(Fujifilm純正)
レンズ:Leitz Canada Summicron 35mm F2 (いわゆる6枚玉)


最終更新:2018.02.06