鬼平21世紀江戸市中見廻り写真


第11回 四谷坂町・先手組組屋敷

 今回は平蔵配下の与力および同心が住居としていた四谷坂町の先手組組屋敷の周辺を歩きます.
 「夜針の音松」のストーリーで,同心松永弥四郎の妻〔お節〕は市ヶ谷薬王寺町の実家を訪問した帰り,合羽坂に差し掛かりました. 合羽坂から組屋敷まではほんの100〜200 mです.写真は合羽坂上.組屋敷に帰るには写真右手の方を下りて行きます.




合羽坂の名前の由来はーーー江戸時代,この坂の南東(合羽坂下交差点付近と思われる)に蓮池と呼ばれる大きな池がありました.大雨が降るとこの池からカワウソが現れることがあったと云います.これを,周辺の住民が「この坂付近には河童が出る」と勘違いしたことに由来するそうです[1].今でも小さいですが木立があります.




木立の中には,実際にカッパがいました(笑).




さて,鬼平のストーリーに戻り,お節はこの木立で突然,托鉢僧に襲われました. そこへ,偶然,平蔵の息子の長谷川辰蔵が通りかかりました. 辰蔵は組屋敷の同心を訪ねた帰りでした. 辰蔵が組屋敷の路地から出てきたのはこの公園のあたりと思われます. 写真を撮っていると,ちょっとカッコいいお姉さんがレトロなピックアップ・トラックを運転して通りかかりました.



それで,辰蔵がお節を助けたのですが,その托鉢僧は実は夫の松永弥四郎が変装していたのでした.妻を襲ったのは一寸倒錯した心理になったからでした.

先手組組屋敷の路地.現在は普通の住宅街です.新しい家が並ぶ通りもあります.




昭和の雰囲気もあります.




ここも組屋敷の路地です.奥にちらりと小さな赤い社が見えています.




赤い社は桝箕稲荷神社です.上の写真とは反対の方角から撮りました.この神社は元和年間(1615-1624)に坂町の鎮守として創建されたそうなので[2],鬼平の時代には既にありました.組屋敷の与力,同心やその家族が日常お参りしていたと想像してよいということです.




上の撮影地点から100 mと離れていない靖国通りの北側には尾張藩の広大な上屋敷(現・防衛省)があります. 組屋敷の路地の風景との違いが強く印象に残りました. 先手組の同心は最も下のランクの御家人で,俸禄は30俵2人扶持[3]. 尾張藩は61万9500石[4].名目換算レートが米1俵=1石ということで[5],同心の俸禄は尾張の殿様のざっと2万分の1です. これに起因する土地利用の違いがありありと現在にも引き継がれています.




話は変わり,「流星」のストーリーで,平蔵配下の同心・原田一之助の妻女〔きよ〕は,買物の帰り,市ヶ谷七軒町(現,新宿区本塩町)の角を曲がりかけたとき,浪人風の男にすれ違いざま斬殺されました. 平蔵に恨みを持つ盗賊のさしがねです. 写真はその現場. 江戸時代の道では丁字路と坂が組み合わさっていて,犯行後に犯人が姿をくらますのに適した場所だったようです. ただし「流星」での事件は酒屋の小僧が目撃していました.




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@720mamoru


参考文献


筆者は本来写真愛好者です.上に掲載した写真を
Nikon Image Space
にも掲載しました.フルスクリーン・スライドショー等の表示ができます.是非ご覧下さい.


使用した機材
カメラ:Nikon Df
レンズ:Nippon Kogaku PC-NIKKOR 35mm F3.5


最終更新:2018.03.03