鬼平21世紀江戸市中見廻り写真


第2回 本所

都営新宿線の森下駅で下車し歩いて数分のところに弥勒寺があります. 弥勒寺門前の茶店〔笹屋〕のお熊婆さんといえば鬼平犯科帳の重要な登場人物の一人です. 弥勒寺門前のバス停.




江戸切り絵図と現在の地図を見比べると,現在の弥勒寺の敷地は江戸時代に比べて縮小しているようです[1],[2]. 江戸時代の弥勒寺の門は現在の清澄通りに面していたようです. 従って,弥勒寺門前の茶店〔笹屋〕は清澄通り側にあったことになります. この位置関係については〔kenさんの鬼平サイト〕[3]にわかりやすく解説されています. また,墨田区が笹屋の場所に高札を立ててくれているようですが[4],私は気がつかずに通り過ぎてしまいました.

江戸切り絵図を見ると,弥勒寺の南側はすぐ五間堀に接しているようです. 五間堀は現在では埋められていてその一部が〔五間堀公園〕になっています. その公園から見えた色々な時代の様式が混在した建物.




笹屋から清澄通りを北へ 200 m あまり行ったところに竪川にかかる二の橋があります. 二の橋の北詰に,平蔵の本所方面の出城ともいえる〔軍鶏なべ屋五鉄〕がありました. 竪川にかかる二の橋から隅田川方面を見たのが下の写真です. 鬼平犯科帳には平蔵配下の密偵が竪川沿いに盗人を尾行し, 気づかれないように対岸の道を通るシーンがよく出てきます. また,平蔵や密偵の粂八が,この竪川を通って舟で〔五鉄〕に来るシーンが何度も出てきます.




軍鶏なべ屋五鉄から数十メートル歩いた地点からの眺め. 江戸時代の面影は見出せませんが,建物が新しく置き換わって行くプロセスが分かります.




青春時代の平蔵は本所深川界隈で酒と女と博打に明け暮れる生活だったそうですが,現在の竪川沿いの風景にその雰囲気を見出すことは難しいです. 二の橋から三の橋へ向かう道筋の途中の風景.




竪川三の橋に,平蔵が家督を継ぐ前の長谷川邸があった設定になっていますが,良い写真が撮れなかったので,そこを通り過ぎて左折して大横川を北へ上り,鬼平犯科帳「本所桜屋敷」の舞台となった場所を目指します.

大横川にかかる法恩寺橋.ここでも時代の積層が感じられます.法恩寺橋のクラシックな親柱周辺は,大正12年(1923年)の関東大震災の復興事業の一環として1925年頃に建設されたもの[5]のようです.この近くに平蔵が青春時代に通った剣術道場〔高杉道場〕がありました.




桜屋敷.現在は蔦の絡まる建物です.粋なはからいで,大横川の両岸に桜の樹が数本植えられているようです.見えている橋は紅葉橋(1930年竣工[6]).




更に北上して,平蔵の青春時代の友人である岸井左馬助が寄宿していた春慶寺を目指します. 現在大横川は埋められて公園になっています.散歩するに良い所.




春慶寺に到着. 立派なビルが建っていました.




上の撮影地点から見た北方向の風景が下の写真. いろいろな時代様式のものが混在しています.左馬助が寄宿していた頃は田園風景だった筈です.




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参考文献


上に掲載した写真を
Nikon Image Space
にも掲載しました.フルスクリーン表示等ができます.是非ご覧下さい.


使用した機材
カメラ:Fujifilm X-E3
マウントアダプタ:KIPON Shift C/Y-FX
レンズ:Carl Zeiss Distagon 25mm F2.8 T* (MM)


最終更新:2018.01.14